霜月のこと


1日
 朝夕めっきりと寒くなった。夕べから毛布をかけ始めている。
でも空気が澄んでとても気持ちのいい朝。朝ご飯を食べて大急ぎで夫に新聞配達をしにいく。
 世間は今日から3連休なんだそうだけれど、そんなの関係ない。
お天気がいいので、談話室まで夫を誘い出そうかと思ったけれど、ベッドから降りるのが面倒だという。
しばらく横の椅子に座っていたけれど、新聞を読んでいて、話しかけに応えてくれない。
 「もう帰るわよ」
 「まったくアメリカって国はいやだねえ」ってな具合。

 こうやって何十年も一緒にいた自分にパチパチ。
 お昼からカズコさんが到来。難儀していたパソコンの問題を解決して下さる、大切な師匠なのだ。
作っておいた更新にチェックを入れていただいた後、夕方までのんびりと、二人の会話を楽しんだ。
これは私にとっては、最高のプレゼントなのだ。



2日 今日もきれいに晴れているけれど、冬の寒さがやってきた。
夕べ2時に起きてしまい、明け方までうつらうつらとしていたために、電話の音で目が覚めたら、8時半だった。
 今朝も夫の定期便で、ラ・クカラチャの音楽が家じゅうの4個の親機、子機に鳴り響く。
 この音楽を設定した覚えはないので、電話機に勝手に入っていたものらしい。
公衆電話から掛かってくるのは、夫が入院中に限られているので、朝らしい陽気な音楽も、私にとっては明るい印象がない。むしろ音がうるさくて耳障り。設定をかえなくては。
 今日は一日中体調がすぐれない。1リットルのペットボトルの水と、頼まれた眼薬を買って、もうろうとした気分のまま泳ぐように空気をかきわけて病院に行ったら、ベッドに居ない。
あれ?と思ったら、目の前の椅子に座って髭剃り中だった。私は疲れて目まで調子が悪くなっちゃったのかしら。
 ともかく頼まれたものを置いて一旦帰り、テレビで石川遼君がプロ初優勝したゴルフを見ているうちに、電波を通して、パワーをもらったらしく、段々とアドレナリンが湧いてきたような気がして、思い直してもう一度病院に行く。
 旦那は病院に入っている間に、自分史のようなものを書き始めた。まだ20代だから前途遼遠だという。
自分史なんて人迷惑なんだからやめなさい、というと、人に見せるつもりはない。という。
要するに退屈しのぎで、もうノートが2冊目にはいっているのだ。
そんなもの本にしちゃだめよ、といったけれど、帰り道で我ながら意地悪しちゃったかな、と反省した。
ちなみに、我が家の本棚には、その手の送られてきたものがいっぱいある。
旦那に聞いたら、ほとんど読んでいないと言った。

3日 「文化ブンカどんどん」の日。デイホームは今日もたくさんの人が来ていた。きっとご家族はお出かけよね。
 最近になって気になっていることがある。メンバーのKさんは、月曜日に歌(演歌)を歌うのが楽しみで、休みたくないと言っていたのだけれど、コーラスの時間とお風呂がぶつかっているらしい。
 彼の姿があるうちに演歌を入れようと思うと、いつのまにか、お迎えが来てお風呂に行ってしまう。
ローテーションの都合で仕方がないのかもしれないけれど、すこしかわいそうな気がする。
今日も、さて演歌の世界に、と思って美空ひばりの「悲しい酒」を開いて、ちょっと見たら、姿が消えていた。
午後になって、おととい更新した先月の日記を読み直したら、8か所の訂正すべきところが見つかった。
変換間違い、助詞の変なところ、文の挿入などなど…早速その作業に取り掛かる。それにしても今日はなんと寒いこと!
 夕方になって、ノリコが食事に誘ってくれた。もちろん大喜びで、6時半に木畑亭に行くことにし、一足早く病院に寄った。
病棟はたださえ手が足りないらしいようなのに、連休中とあって、食事を運んできて25分後に片づけに来る。
 昨日なんかは、運んできた賄いさんが、放り投げるようにお盆を置いて、一言も言わずに出て行った。
思わず旦那と顔を見合わせてしまったけれど、まあ、大した問題ではない、とのみ込む。
木畑亭で、フィレステーキを美味しく食べる。お父さんごめんね。
中国のお土産というプーアール茶の美味しいのを、何度も入れて下さり、久々に食べたビーフも、完全燃焼した感じ。いい休日だったなあ。
 旦那は明日の血液検査の結果を見て、退院の予定。

4日 なんだか朝からのろのろと仕事がはかどらない。特にやらなくてもいいことばかりだからかしら。
 お昼近くなってやっとエンジンがかかり、洗濯物を干して、病院に新聞を持って行って、そのままプールに行った。
 40分間のアクアエアロをやっているうちに、だんだんと活力がわいてきた感じ。
 テレビで小室哲也が5億円の詐欺で逮捕されたと報じている。この人は音楽業界では良い仕事をしたという評価があるけれども、どことなく胡散臭い感じがしていたのだ。やっぱり、と思った。人間が薄っぺらい印象で、いつか破綻を生じると思っていた。
 旦那は明日あたり、うまくいけば今日にも、退院する気でいたけれど、主治医が今日は姿を見せなかった、とがっかりしている。
先生はきっと考え中なのだろう。正直なところ、私はホッとしているんだけどな。
 明後日栄養指導を申し込んであるので、それが済んでから帰ってきてほしい。
兎に角、注意の上にも注意しなければならない生活が待っている。
 旦那はシャワーを浴びて自分が痩せたことを再認識、看護師さんに、お釈迦様が悟りを開いたときの、痩せぶりとそっくり、と言ったとか。そりゃ厚かましいわ。きっとナースステーションに話題を提供しただろうな。
 今日は3回病院に行ったけれど、3回目は日本シリーズに気を取られて、碌に返事をしないので、5分で引き揚げた。
 今夜の食事は、北海道展で目についたいかめしと、餃子。どっちも思いつきで買ってきたもの。

5日 ユトリーバ例会。今日は先月の例会で話題になった、セブンイレブンのおにぎりを食べる会。
私はワンタンと、大根、玉ねぎなどの思いつきサラダを作ることにする。
 皆様からのたくさんの差し入れがあって、賑やかな食事となった。
今日ひょっとすると旦那が帰ってくるかと思ったので、隣の息子の家を借りる約束をしていたけれど、 帰ってこないことになったので、朝大慌てで掃除をする。
 コーラスをしている時に、息子から電話が入って、朝会社に行く前に、大掃除をしておいた、というので、せっかくなのでティータイムは、隣の家に引っ越しをすることにした。
 ゆっくりと遊んで、6時半過ぎに病院に行ったら、息子が来ていて、続いて娘も顔を出したので、帰りに3人で、駅前で中華料理を食べて帰り、それからもう一度、パスポート更新のための写真を撮りに、坂の下の「とうきゅう」に行った。
 インスタントの写真は最低の出来。基が悪いので仕方ないわ。
 旦那は肝臓の数値が下がらないので、今週いっぱい病院にいることになった。
 今日アメリカの大統領選挙で、オバマが勝利した。アメリカより、日本のこれからの姿勢のほうが興味深い。

6日 周りを見回すと、どこから片付けてよいのか解らないほど、ものが散乱している。こういうときは何もしないでボケっとしているに限る、と勝手な都合を付けて、なにもやらない。
 やったのはアクアサイズだけ。時間ぎりぎりまで泳いでいたら、出口の近くのスペースしか場所がなく、40分間水の中で、休まずに体を動かしていたのに、寒く感じた。帰りに病院によって2時に予約してあった栄養指導を受ける。病室で私は座ったまま、栄養士さんは立ったままで1時間話を聞いていたら、首がこってしまった。
 帰ってから、1時間椅子に座ったままで、寝る。昨日の残りのワンタンスープと、玉ねぎサラダを2食続けて食べたので、胃がもったりしてしまった。

7日 立冬らしく寒さがワンランク上昇した。散々迷ったけれど、パスポートの更新に行くことにした。
10年の更新にしておけば、おそらく一生もの。でも現在のところ、もう外国に行きたいとは思わない。
それよりも日本の中を極めたい、と思うけれど、運転免許証を失効させてしまったので、せめてパスポートだけは、持っていようと思ったのだ。
8時半に出かけて新聞を病院に届けてから、満員電車で日比谷まで行く。有楽町の交通会館で申請が終わってから、12時に三越の玄関でまちこさんと待ち合わせていたけれど、時間がたっぷりと余ってしまったので、伊東屋に行ってカレンダーを買い、9階の喫茶室で本を読みながら、コーヒーを飲んで時間をつぶす。
時間ピッタリに待ち合わせの場所に行ったら、彼女の首が長く見えた。
うんと待たせてしまったみたい。
 久し振りで「天国」のランチ天丼を食べて、お茶を飲みながらゆったりとしたおしゃべりの時間を過ごした。
 銀座は外人さんと国内観光客でいっぱい。旦那が明日退院してきたら、こういう時間はしばらく持てないので、三越の地下で弁松の煮物たっぷりのおかずを買ってきて、一人で満喫。
 夜になって荒れ模様。風の音が伝わってきたので、窓越しに見たら、西の空のわずかな雲のすき間から上限の月がのぞいていた。明日が晴れならいいけど。

8日 雨の朝。午前中夫が退院して来た。また忙しくなるけれど、それはいいとして、ご機嫌よく居てくれることだけを願っている。というのが、いつものことながら、病院生活から解放されると、それまでいい子にしてた分のリバウンドがもろに私に降りかかってくるのだ。今日も案の定。
 やれやれ。毎度のことながら私は諸悪の根源だと思われているらしい。
それにしても寒い一日だった。夜は旦那の残したシャケ、もずく、カボチャとおくら、麩の煮物で簡単に済ませた。
 食事の手抜きをすると、体が寒く思われるのは、何故かしら?
 いい子ちゃんリバウンドが、だんだんエスカレートしている。
 今日も無理難題をふっかけられたので、ちょっと言い返したら、

「お願いだから言い返さないで、聞き流してくれてていいから。もう感情をコントロールできないんだ」

と言われて、はっとした。昔からのマニュアルはもう通用しないんだ。
ごめんなさい、もう言うこときくから、と謝ったら、穏やかな顔になった。



9日 家の近くを歩いていたら、ピラカンサスや南天の実が真っ赤に色づいていた。柿も完熟にはまだまだの色だけれど、あともう少しの辛抱よ、と頑張りを見せている。それにしても季節はなんと忠実なのだろうか。
 夏の間の不義理を挽回する積りだと言わんばかりに、11月の声を聞いて、俄かに寒さが厳しくなっている。
 夫が留守の間は、私は暖房知らずだったのに、流石に病人のことを思うと、家じゅうのエアコンを回さずにはいられない。
 昨日退院してきた夫は、8度の熱を出した。でも、もう二人とも驚かない。
病院から貰って来た解熱剤を使ったら、瞬時にして大汗をかいて、平熱に戻り、その効き目にむしろ怖さを感じてしまう。
 要するに体温の調節が出来にくくなってしまったようだ。

10日 雨はやんだけれど、お陽さまはさぼって顔を出さない。朝のうちなんだか元気がでないと思ったら、血圧が106だった。
 それでもデイホームに行って、歌っているうちに気分がだんだんハイになって、平常に戻ったらしい。 旦那がリビングの寝椅子で気持ちよさそうに寝ているので、わたしもつられて、寝にくい椅子で昼寝。
夫が帰ってくると、私は朝からおかずのことを考えている。今日は鱈を煮ようかと思っていたけれど、買い物に出て行くのが面倒になって、冷蔵庫をひっくり返して、でっち上げる。
 今夜は、雑穀粥、里芋、高野豆腐、人参、皮と脂を取った鶏肉、それに庭の三つ葉を散らした煮込み、とうふの味噌汁、昨日作ったサツマイモのきんとんなどなど。
 ちょっと物足りないので、冷凍してあった鯵を1枚焼いて二人で半分こ。

11日 旦那が退院してから3日目だけれど、毎日夜になると熱が上がる。病院で解熱鎮痛剤の座薬を貰ってあるのが、目下のところの強力な武器だ。
 私は座薬なるものを使ったことがない。大砲の弾の縮小版みたいなやつを、へえ、こんなになってるんだ、と感心して見ているのだけれど、流石に見て感心してばかりいられない。
 そこで手を貸すことにした。何十年も連れ添って、唯一見ていなかった旦那の一部を初めて拝見。
 それにしてもこの薬のあまりの効力に、恐ろしさを感じてしまう。こんな強いものを毎日使っていいものだろうか。
 明日は外来の診察日だけれど、旦那はまた拘束されるのを覚悟しているようで、洗面道具が揃えられていた。まあ、なるようになれ、と開き直っている感じ。
 夜になってテレビで、筑紫哲也さんの追悼番組を他人事でなく視た。旦那が、苦しまずに死ねたらいいな、というので、冗談に、「心中しましょうか?」と言ったら、まじめな顔をして、「子どものために長生きしなければ駄目だ」、という。子供はいつまでも子供だと思っているらしい。
 そうやって長生きしすぎて、おばあちゃんいい加減にしてよ、と思われるんだろうな。ようし、う〜んと長生きしてやるぞ。

12日 お日様はいったいどこに行ってしまったのかしら。今日もどんよりと重たい空が果てしなく広がっている。
 朝8時半に一足早く病院の番号を確保しに出る。こんなに寒くて、旦那が風邪をひいたら厄介なことだ。
ノリコが出がけに隣の家からウインドゥヤッケを差し出してくれたので、旦那が寒い思いをしないですんで助かった。
 今日は息子が休暇をとって車で後から旦那とやってくる。予想通り旦那はそのまま病室行きとなった。
今回は、ここから大学病院に、部屋が空き次第転送ということになったので、何日になるかわからないけれど、入院となる。先生が大学病院に連絡をとって下さり、「生憎25000円の個室しか空きがないようなので、部屋が空くまでここの病院にに居てください、でも、申し訳ないけれど、こちらは6人部屋しか空いて無くて」、とおっしゃり、私は心の中で(たすかった〜)。
先のことを考えたら、この際差額ベッド代は懐に痛いのだ。
 それにしても、この前入れたステントチューブは結局3か月しかもたなかったということになる。
 まだまだこれを何度も繰り返すでしょう、との先生の話だった。何が起きても驚かない。
 先生の話では、ステントを入れた胆管の先のバルブが開きっぱなしになっていて、胃から出た雑菌が逆流するための発熱とか。それと、肝臓からでたカスがステントに付着するので取り換えが必要。この内視鏡手術は大学病院に行かないと出来ないんだそうだ。今回の旦那の病気で、人間の体の精密さに目をみはる思いがしている。
 いうならば宇宙船より精密だ。誰が考えたんでしょうね。人間作った神様、「あんたはエライ!」
 今回は、要らないというのに逆らって、無理やりテレビを借りることにした。考えたら先場所の相撲も病院で見たっけ。 
 さてと、これから何日もかかって、冷蔵庫を空にしなきゃ。

13日 早朝、神社の前を通りかかったら、はらはらと黄色い葉っぱが舞い降りてきた。
見上げたら、欅が7分通り色づいている。うっすらと青みを帯びた、シジミのおつゆみたいな空とマッチして、それはさながら大奥の老女の衣装みたいな美しさだった。
 今年は紅葉狩りに出かけることも出来ないだろうけれど、こんなにも間近で秋を満喫できるなら何も不満はない。
 夕べ何故か眠りが浅く、元気のでない午前中だったけれど、病院に新聞を届けた勢いで、プールに行き、350メートル泳いでから40分間のアクアサイズを受けて、まっしぐらに帰る。
 帰りに頼まれたリステリンを届けに病院に寄ったら、大学病院から連絡があって、明日の朝転院するということだった。今度は何もかも支度をしなくてはならず、昨日旦那が脱ぎ捨てていったパジャマを、大急ぎで洗濯機にかける。
 今までの入院の度に、我ながらホームレスみたいと思うような紙袋の移動だったけれど、恰好の小型スーツケースがあることを、思い出した。
入れてみたら、殆どが収まってしまい、今までの苦労がアホみたいだ。
 実はこの鞄は、今週の土曜日に町会の古物回収に出そうと思っていたのだ。ことほど左様に物事は結論を急いではならない。
 ず〜っと押し入れの隅で、埃だらけになっていたこの鞄に出番があるなんて、鞄もびっくりしていることだろう。
 私だってもうひと花?……おっと誇大妄想を抱いてしまった。

14日 8時半に病室に行き、荷物を整理、出かける準備が万端整ったところに、息子と娘が迎えにきてくれて、大学病院に行く。今回はすこし古い2号館の西病棟。ピンクのカーテンがきれいで、以前下見をしにいった時の暗いイメージが払拭されて、ここならと、ひと安心した。
 ロッカーに荷物を入れ、売店でテレビのイヤホーンを買ってきて、どうにか環境が整ったので、蒲田駅まで息子の車で送ってもらい、娘と駅ビルで食事をしてから、有楽町の交通会館にパスポートを受取りに行く。
 今回も10年の申請をしたけれど、旦那が元気にならなければ、白紙のままで終わってしまうかも。
それでもまぁいいか。失効になった前のパスポートを繰ってみると、もはやスタンプを押す余白もなくなったそれぞれのページに、びっしりと思い出が残されている。
 旅は三回楽しめると言った人がある。出かける前のわくわくした期待、旅の間の感激、そして、帰ってからの思い出だそうだ。今出かける時間のない私は、たくさんの思い出にどっぷりと漬かって、旅を楽しんでいる。
 昨日からの久しぶりの青空を見ていると、大好きな銀座を素通りして、そのまま帰るのが勿体なくなって、有楽町から新橋までぶらぶらと歩く。
 表通りは人通りが多く、それにそこまで出るのが億劫だったので、電通通りを西日をいっぱいに浴びながら散歩。
 柳の葉も成長して、風に吹かれる姿がなまめかしい。ちょっと行動半径を広げるだけで、新しい空気が体にしみわたる気がして、リフレッシュさせてもらえた。だけど、今日は疲れたなあ。

15日 七五三の日で近くの神社が華やいでいた。最近は10月ごろから、お宮参り風景がみられるのは、パパやママが忙しいからなのだろうけれども、やっぱり七五三のお参りは11月15日であってこそ意味(どんな意味かしらないけれど)があるように思う。
 今日は古着の回収日のため、九品仏の出張所に大荷物を引っ張って出向き、ついでに地代を納めてきた。
 まだ余韻を残したお寺の紅葉は、最高の美しさ。
敷き詰められた落ち葉が、青い空に赤く反映して、その向こうに佇む上品、中品、下品、の三つの伽藍の陰から、刺客が姿を現しそうな錯覚さえ起きるのは、時代小説の読みすぎ?今、佐伯泰英の「古着屋総兵衛」にのめり込んでいる。
 あまりの美しさに帰りかねて、しばらく静寂の中に身を沈めて、時を過ごす。本をもってくればよかったなあ、と思いつつ。
 帰り道に病院によって、昨日までの2日間の入院費を払おうと思ったら、お金が足りず、一度出直して時間ぎりぎりに払い込んだ。大部屋、絶食、点滴、血液検査、CT代の内訳で、3万円以上。3日目の朝9時の退院でもしっかりと一日分取られている。
 うちの後に入院した人からもとるんでしょ?病院て儲かるなあ!
 午後ゆっくりと食事をして、PCゲームを楽しんでから、とことこと、バスに揺られて大学病院行き。
 夏中の病院通いで消耗してしまったので、これから夫が大学病院に入る時は、1日置きに、と思っていたのだけれど、やっぱり心が、そして足が向いてしまう。
 昨日、夫の友人の食事会が駒場の学内で開かれるので、私だけでも出席する約束をしていたのをすっかり忘れていた。
 気がついて、慌てて、友人のYさんにお詫びの電話をかける。来週も夫の同級生の食事会があるので、これは忘れないようにしなければ、鰻を食べそこなってしまうわ。



16日 息子が今日は病院に行くのを休んだら?と言ってくれたので、休養することにした。明日は大阪出張で行かれないので、日曜日の今日は替ってくれるというのが、有難かった。
 昨日からお茶が飲めるようになったというので、美味しいほうじ茶と、頼まれていた大判のタオル、今日の新聞を、息子に依頼する。今度の部屋は6人分のスペースを4人部屋として使っているので、今までで一番大きく、同室の人たちもカーテンをぴっしりと閉め切っていて、看護師さんも若い美人がそろって、優しい応対をしてくれるので、夫にとって最高の環境だ。
 建物が少し古いというだけで、差額ベッド代も前に入った3号館より2000円安い。夫にいわせると、食事の味付けが下手というが、どっちみち多分あと1週間は絶食なのだ。
 水が飲めるだけありがたいと思いなさい、と、何度言ったことか。今年に入ってずっと同じことを繰り返している。
 久しぶりに一日家に籠って、午前中は冷蔵庫の大掃除をする。賞味期限切れのものや、しなびた野菜を捨てたら、半分のスペースが空いた。
 お天気が悪いこともあって、午後はテレビで国際女子マラソンをスタートからゴールまで見た。
 画面に映る都心の紅葉がとても美しかった。半分は景色を鑑賞していたというわけ。

17日 朝、雨戸を開けたとき、庭の山茶花の花が開いているのに気がついた。例年より遅い開花なのは、寒さが来ないからかしら。
 月曜日なので、夕べ用意しておいた15曲の楽譜を抱えてデイホームに行ったけれど、途中の東横線の踏切が中々開かない。
すこし離れた跨線橋まで行こうと思ったが、面倒なので、辛抱強く待つことにした。
あたりを見回すと、線路の中までランタナが満開だった。デイホームに行って聞いたところによると、近くの自由が丘のプラットホームから人が落ちたために、電車が止まったんだそうで、少し前まで30分閉鎖していたという。
 目いっぱい歌ってどんちゃん騒ぎをしてさっぱりした気分になった。
  病院に行ったら、旦那があまり無理するな、という。なにが?と聞いたら、デイホームで無理してたくさんの歌を歌うな、というので、思わず、「何も無理してないわよ。楽しんでるだけ、楽しいことしかやらないの。強いて言うなら無理して続けてるのは、あなたの世話のことよ」、と言わずもがなのことを
またしても言ってしまう。こういうところがダメオンナのわたし。
 でもそれに対して反論しなかったのは、旦那の感受性も鈍ったのかな?それにしても病院通いは疲れるわ。

18日 朝テレビを見ていたら、関東の太平洋側のあちこちの七五三風景を映していた。
 ホテルの宴会場で、結婚式さながらの大騒ぎで、お色直しで醜悪な洋服を着せられた子供が出てくる。
 キャンドルサービスならぬ、キャンディサービスで子供が回ると、おひねりが渡される。
 楽屋裏で子供がお金を数えているのを見て、なんだか鳥肌がたった(鳥肌という言葉が、今違う解釈をされているようだけれど、これは正真正銘の鳥肌)。
 板子一枚下は地獄という漁師町ならですねえ、とコメンターが言っているけど、わが子を猿回しのサルにしたてるみたいな、こんなの許せない。
 アホらしくなってチャンネルを回せば、今度は12000円の給付金のオハナシ。
 ますます腹が立つ。今、佐伯泰英さんの「古着屋総兵衛」の5冊目を読んでいるけれど、この総兵衛さんがめっぽう強くて悪いやつらをことごとくやっつけてくれる。
 徳川時代も相当政治経済ともに乱れていたらしいけれど、今と違うのは、正義の味方がいた、ということだ…と、フィクションと現実が、私の頭の中でごちゃごちゃになっている。
 今朝、好評のおせんべを渡辺さんが届けてくださった。奥さまが保護司の活動資金にしていられるので、こういうことには積極的に応援したい。価値観を一つにするユトリーバのメンバーがたくさん注文してくださったので、来月までのお楽しみ。
 病院に行ったら夫がいらいらしている。原因は2本入れているうちの1本の点滴が空になって、逆流してしまい、いくらナースコールを押してもやってこないということだった。この大病院は各病棟の横の連携が薄いらしく、前回入った3号棟とは患者のケアに大きな差がある。前にいた病棟ではベルを押すと1秒で、すぐに誰かが飛んできた。
ここでは目下絶食中の夫には、お絞りも持ってきたり来なかったり。看護師さんが血圧計を忘れて行ってしまったり、病棟全体がどことなく雑然としている。それだけ看護師さんの負担が大きいのだろうと、察した。
部屋のすペースが、6人部屋を4つに区切っているので、格段の広さということをのぞいて、それ以外に、病人にとっていろいろと不満材料が見つかっているようだ。
とにかく苛々しないように、と宥めて帰った。

19日 からりと晴れて、秋の空が広がる。朝一番で整形外科に薬を取りに行き、ついでに、インフルエンザの予防注射をしてくる。一旦帰ってから、目黒まで行き、久しぶりで白金台のクニコさんのお宅に伺った。思考の中心を失って、バタバタしている私の生活ぶりに、活を入れて下さるおつもりらしく、お昼のご招待だった。懐かしいホッタンとウーチャンとの再会も果たして、美味しいお昼御飯を食い逃げして、表通りからバスで品川に出て、乗り継ぎで1時過ぎに病院に行ったら、もう、ステント手術が終わって、部屋に戻っていた。今回は2本のステントが挿入されて麻酔も強力だったのか、夕方まで目を覚まさないので、8時までベッドサイドでひたすら編み物。
 とにかく手を動かしていないと、なにもすることがない。時々無呼吸になるので、そのたびに揺り動かすと、また呼吸を始めるといった、怠けぶりだ。
 会社の帰りに寄ってくれた息子の車に乗って帰宅。冷蔵庫の中をかき回して、結構おかずが整った。
まだまだ中身が余っているんだと、さらに倹約精神に拍車がかかる。

20日 プールのジャグジーに浸かってプールサイドを歩いている人たちを見ていると、年齢的なこともあるだろうけれど、日本人て姿勢が悪いな、と思う。若い人は流石にそういう人はいないだろうけれど、皆背中が丸くなっている。
 折角スポーツクラブに来ているのに、勿体ないなと見ているけれど、そういう私だって、人から見たら醜いのかもしれない、と鏡に写してみて、思わず目を逸らしてしまった。
 どう考えても短足!病院で落ち合ったノリコと一緒に帰ったけれど、なんだか見上げてしまう気分なのは、私の背丈が縮んでしまったようだ。
 病院で昨日から入院してきた向かいのベッドの人が、とても声が大きい。そこにお見舞いにきた人がまたまたうるさい。
 あたりかまわずしゃべるので、旦那はいらいらし始めた。でも3号館に入院していた時に、向かいの人がうるさくて、部屋を変えてもらったことがあり、こちらにもストレスがかかったので、今回は文句を言わず、じっと我慢の子だ。
 ノリコが売店で耳栓を買ってきて、置いてきた。文句言っちゃだめよ、うるさかったら耳栓はめてなさい、となだめる。
 明日多分もう一度、ステントの入れ替え。肝臓の数値が3桁になっている。今回はたったの2日しかもたないなんて、どういうこと?

21日 朝10時に健康体操に行き、45分間汗を流す。この体操を始めてから、痛かった膝がすっかりよくなった。
かなりきついけれど、頑張っている。11時半にクラブを出て12時に田園調布の「平八」での集まりに夫の代わりに行く。最近食べたいのを我慢していた鰻を堪能して、7人のお仲間より先に失礼して、病院に行った。
昨日の主治医の話では、おとといやったステント内視鏡手術が反応して、肝臓の数値が上がり、やっぱり金属の永久的なものに入れ替える必要がありそうだということで、場合に依ったら緊急で今日やります、ということだったので、覚悟していたけれど、とりあえず少しずつ数値が落ちているので、様子を見る、ということで、夫ともどもひと安心した。
 夕方、喜界島に出張中の息子から電話がはいり、今鹿児島空港にいるから、7時に病院に寄る、ということだったけれど、待っていられず、一足先に電車で帰宅した。
 なんだか無性にお好み焼きが食べたくなり、近くの八百屋さんで、ネギをしこたま買ってきて、キャベツ、卵、豚こまで、一人の饗宴を楽しむ。

22日 今日もお天気が良いので、せっせと洗うものを見つける。だいぶ長く着ているパジャマがよれよれで、あと1か月もすれば、捨てられる運命にある。でも、この木綿100%の着心地の良さったらないのだ。
あまりのボロさに、もし、私が具合悪くなっても、夜中に救急車を呼ぶわけにはいかない。だから洗うこともできずに、毎晩のご厄介になっているというわけ。我ながら汚いねえ。
午前中調律のTさんがくる。わたし、調律しているときの完全4度の寝ぼけた音が大好き。なんだか心が癒されるのだ。
 でも、かねがね気になっていることがある。何十年かの間に、調律師が4人か5人出入りしているけれど、そのどの人もがとっても話好きなのだ。
 それはいいとしても、仕事が終わってから1時間以上話に付き合わされるのが、とても苦痛だ。
 今日も句読点のない話に、こちらは、はあ、ふ〜ん、へえ、ほうほう、と「は行」だけの応対が1時間半!
午後都合が悪いから、朝1番に来て、って言ったのになあ。終って、慌てて出かけて夜帰ってから、そうそうと思いだしてピアノの音をだしてみた。音色が美容院に行ったあとのような心地よさを復活。
でも気がついたら、慌てていたために、ピアノの部屋のエアコンが一日中つけっぱなしだった。
 今日旦那は窓際のベッドが空いたので、引っ越しをした。一段と広いスペースで、空が見えて嬉しい。
 今日は抹茶入りの玄米茶を1パック持って行って、こっそりと和菓子も食べちゃった。それぐらいしなきゃ看護人は体がもたないもんなあ。旦那は退院したらカステラが食べたい、という。



23日 秋晴れの日曜日。紅葉も最高で道路が渋滞していると報じている。
でも、夫が病気になってから、私は普段の行動半径の中で、たくさんの美しい秋を発見している。
バスの中から見る街路樹の美しさ、町を歩く人の秋のファッション、病院で看護師さんの働く姿さえ、見ていると黄葉した銀杏が風に舞っているような美しさが感じられる。3号館の看護師さんは、桜が舞うように、ひらひらと病棟を動き回っていると感じていたけれど、ここの2号館は、もうすこし線が太く、それぞれに個性があるのは同じ病院内なのに、と、面白い。
そして、病棟の雰囲気も、3号館がリゾートホテルのような空気が感じられたのに対して、この2号館は、正真正銘病院だ。どちらにもデイルームというのがあるけれど、今いる病棟のそのスペースは、なんだか山の民宿といった和気あいあいとした風の流れがある。
 入院した時は、あまりの違いに戸惑ったけれど、看護師さんもお馴染みになってくると、居心地の良さを体感している。
 ちなみに今の病室は6人部屋を、明るピンクのカーテンで4つにし切っているので、今までで一番広々としている。
 冷蔵庫が共有なのを除いたら、今までで一番居心地がいい。看護師さんが窓際が空いたので、ベッドごと引っ越しをしてくださったので、気分を一新している。

24日 3連休の3日目。朝デイホームに歌の指導に行って、帰ってからすぐに予約していた美容院に1か月振りに行く。
 空が暗くなる予感を漂わせていたので、傘をバッグに入れたまでは良かったが、洗濯物を干しっぱなしにして帰るころに本降りとなった雨に、すっかり濡れてしまった。
 夕方お友達のヤスコさんが、旦那のためにノニジュースを2本届けて下さり、高価なものなので、すぐにお支払いしようとしたけれど、これはお見舞い、とおっしゃる。ご厚意をありがたく頂くことにして、心から感謝した。
 いつになったら、たくさんのお友達からの応援に、ご恩返しができるのかしら?

 この2、3日疲れを感じていたので、ノリコが行くというのを幸いに、病院に行くのを休ませてもらうことにしたけれど、夜になってトールが行くというので、車に便乗して旦那に会いに行った。ヤスコさんから渡されたノニジュースの説明書を読んでおいて、と渡してくる。それにしても大雨で、なんと寒い夜なの?

25日 年末が近づいてきて、今年も喪中の葉書が連日届いている。
ショックだったのは二人のお友達から息子さんが亡くなったという連絡があったことだ。
 どちらも40代の働き盛りで、慰めの言葉も見つからない。どんなことでも経験してみて初めてその痛みがわかる、というけれど、自分の身に、もし、そのようなことが起こったら、と考えただけで、胸が痛くなる。
 散々迷いながらも、お知らせを頂いた方々に、ぼちぼちと電話をかけて、話を聞く。でも、それは半年以上たった方だけにして、あとは、ゆるゆるとお悔やみ状を書くことにした。
 年賀状が書けるというのは、これに勝る幸せはない、という気がしている。
 プールの帰りに病院に行って、ノニジュースを内緒で夫に飲ませた。まずいという前評判だったけれど、ブルーベリーの味でおいしいので、これなら続けられそう。今夜も雨となった。

26日 プールから外に出たら果てしなく真っ青な秋の空の下、慶応のキャンパスのプロムナードが、見事な黄色に染まっていた。
 先週までは先頭の1本だけの黄葉だったのに、あっという間にまっ黄色。青と黄色の見事なコントラストにワンポイント、キラキラと銀色に光るジェット機が、音もなく横切っていった。この上を飛ぶ飛行機は、どこを目ざしているのかしら。
 駅の構内から、たくさんの人が携帯シャメを送っている。それはまるで小判をまき散らしたような見事さで、これがお金だったら、とその場面を想像するのは楽しかった。こういう風景は心を豊かにしてくれる。
なんだか嬉しくなって、駅構内の「とうきゅう」で、たくさんの食材を買い求めた。
午後病院に行ったら、近くで火事があり、真黒な煙が空を流れている。これから寒くなって焼け出された人は、どんなにか大変な思いを強いられるだろう、と、他人事ではない。いつも娘に注意されている私は、火の不始末の結果を自分に再認識させる。
 暗くならないうちに、と早めに病院を出たつもりだけれど、あっという間に太陽が落ちて、しかも病院を出たときに目の前をバスが出て行ってしまう。歩いても15分以内の距離なので、駅まで歩くことにした。
 蒲田の駅は羽田空港から仕事上りのスチュワーデスさんがいっぱい。機内で目いっぱいの愛嬌を振りまいていた分、皆無表情に黙々と歩いている。
これ以上営業笑いはできませんぞ、というみたいに。ひょっとしたら、お昼に日吉の銀杏の上を飛んで行った機に、乗っていた人もあるかも。
 夜帰宅したらレイ子さんが転んで腰を骨折入院したと、ご主人から電話が入った。長引かなければいいけれど、これから手術するとか。

27日 昨日の秋空が一転して、暗い朝。なんだかとっても疲れて眠くて寒くて、胃の具合が悪くて、嫌な朝だ。
ヨーコさんがノニジュースを取りにくるので、一日家に籠り、疲れた体を休めるいいタイミングとなった。
 午前中に30分位椅子でうたたねし、少し早いお昼をと、冷蔵庫の中で出番を待っていた栗ごはんの残りを、お粥にして、ふと思ってノニジュースを50cc飲んだら、体がぽかぽかして、やっと元気を取り戻した。
 3時までヨーコさんとティータイムを楽しんで、病院に出かけて行ったら、今週中の退院を期待していた旦那はそれが無理とわかって、落ち込んでいる。それでも、前にお世話になった3号館の看護師のタカギさんが訪ねてくださったと、喜んでいた。私も会いたかったのに…。
 だいぶ彼女にたまっていた思いを吐き出したらしく、そのあとで、今の担当のカンさんが来て、椅子に座って30分話し相手になってくれたらしい。連絡のいいこと、それにしても世話の焼ける患者だわ。
 私も今日は少しゆっくりと、7時半までお相手を務めたので、くたびれて、駅ビルでお弁当を買って帰り、9時に夕食となった。
昨日の大森の火事は11軒焼けたと新聞に出ていた。

28日 今日は朝からウキウキしている。強力な援護隊の現れる日なのだ。
目が覚めたら8時を回っているので、慌てて起き出し、1時間後に健康体操に行き、またまた慌ててお風呂に入って家にまっしぐら。帰りついてただちにスタンバイOKのメールを送る。
 ミワコさんから、今横浜駅、と返事が来て、ああ、間に合ってよかった、とお鍋の支度をする。
今日は残念ながらMMKトリオは揃わず、MKコンビで、二人だけのお鍋大会だ。ミワコさんは、「昼間っから二人でお鍋を囲むなんてねえ」、となんとなく落ち着かない。
それに昨日寒かったので、ただ一途にお鍋を頭にたたき込んでしまったのに、今日は何となく暖かい。
それでも二人でかなりの量を平らげてしまった。マチコさんは、先約があって、晴れたら紅葉を見に行くと言っていたら、晴れてしまって、当然欠席だ。先約優先の私としても、これは当然の判断と、あきらめた。
そういえば今年の春の伊豆行きも、マチコさんが急用で来られず、ミワコさんと二人の旅だったと話し合う。
その時にお互いの健啖家ぶりを確認している。なんたって、大きな金目鯛をはじめとする伊豆の食材を、二人できれいに食べてしまったのだから。
夕方、さまざまなプレゼントを、ウハウハと頂いて、自由が丘の駅でそれぞれの電車に乗るべくお別れした。
 今日はたっぷりと遊んだので、電車で病院に行く。
旦那は病院の眼科で視力検査を受けて、病院出入りのメガネ屋さんに注文が出せたと、ご機嫌だった。
この間から駄々をこねていたのは、眼鏡が合わなくなって、字が読みにくかったせいらしい。

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